小室哲哉という革命

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NHKBSプレミアムのアナザーストーリーズ
「小室哲哉という革命〜メガヒット連発 その光と影」が放送された。

1度目は生で、2度目はメモを取りながら視聴した。

1994年5月18日

僕は東京ドームにいた。

TM NETWORKの終了ライブを見るためだ。

僕にとって初めてのライブが、TMの終了ライブだった。

僕はとてもショック受けていて、これから誰を聴いていけばいいのだろうと途方にくれていた。

その終了ライブで華麗に演奏をする小室哲哉が、累計1億7千万枚のCDを売り上げて時代の寵児となり、そこから転落していく人生が待っていると誰に想像できるのか。

それは小室ファミリーと呼ばれた。

trf、安室奈美恵、華原朋美、篠原涼子、Hitomi、H jungle with T、globe、鈴木亜美など数多くのアーティストのプロデュースを手掛け、1990年代にミリオンセラーを連発していった小室哲哉。

小室さんは人をアッと驚かすことがとても好きな人だった。

彼をTMの頃からのファンはよく知っている。

リニューアル宣言と称し、TM NETWORKからTMNにユニット名を変えたり、

TM活動中、TK RAVE FACTORY の頭文字をとったtrfをプロデユースしたり、

TMを突然の終了宣言したり……

ファンも常に彼が次に何をするのかに注目していた。

そして、小室さんはヒット請負人になった。

ヒット請負人という責任を自ら背負うという重圧は、どれほどのものなのか。

それは背負った人にしかわからない。

でも責任を自ら背負ったからこそ、ミリオンセラーという結果を出せたのかもしれない。

1996年4月15日

小室哲哉の楽曲がオリコンチャートのベスト5を独占した。

まさに絶頂期。

しかし、確実に運命の歯車が狂いはじめていた。

小室さんは寝ない、食べないで、3日で1曲のペースで曲を作り続けた。

だから、その周りにいたスタッフと共に、スタジオは狂気の沙汰と化した。

エイベックスが小室さんと縁を切り、取り巻く人達がどんどん変わっていった。

当時の僕は小室さんの環境がそんなことになっていたとは、つゆにも思わない。

ただ、なんとなく不穏な空気は感じていた。

素人目にも明らかに楽曲のレベルが落ちているのだ。

こんな下手なボーカルで発表していいのか。

なにか楽曲のMIXバランスおかしくないか。

ずっと小室さんを応援していた僕はとてもショックだった。

周りに小室さんに意見を言える人がいなくなっていたということなのか。

そして2008年に起きた詐欺事件。

なんでこんなことが起こるのだろうと理解に苦しんだ。

そして、どんどん弱っていくように見える小室さんを見ているのが辛かった。

あれ程新しい音を追い求めていた小室さん。

復帰後は、音楽への情熱が冷めてしまったように感じた。

2018年1月19日

小室さんはとうとう引退を宣言した。

何かと宣言が好きな人である。

でも小室さんと一気一憂して、ずっとずっと応援しているファンがいたことを忘れないでほしかった。

ファンはいつまでも気長に彼の復帰を待っているのだ。

そう、僕は小室さんの音楽があったから今まで生きてこれた。

小室さんと比べたら、僕の人生はなんと平凡なことか。

それでも、僕なりの人生のわびさびを経験しここまでなんとか生きてきた。

その側にいつも寄り添っていてくれたのが、小室さんの音楽だった。

今まで本当にありがとう。

あなたが創る音楽が大好きだった。

僕にとってあなたは永遠のヒーローだ。

もし生まれ変わったとしても、また小室さんの音楽を聴いて生きたい。

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